「推し」じゃねえ「運命」なんだ
愛する別次元の人の事を「推し」と呼ぶ風潮。
よそ様が遣う分には気にしないけどいざ己が遣うとなると凄まじき違和感に阻まれる。
理由は単純。別に「推し」てないのだ。
誰かに向けて「イイっすよこの子」と言いたい訳じゃない。布教したいわけじゃない。アイドルな子だったらそれでも良いのだろうが、生憎アイドルで好きな子には今だ出逢っていない。
そして“好き”にもカテゴリがあって、ファン、愛、殿堂入り、神聖化の4つがある。
ファン。いわゆる“推し”。追いかけている作品やグループの良いな!と思った人。一緒にペンライト振ろうな。
愛。この感情を持つか否かは一般オタクか深みオタクかを線引きする。越えたならあとは怖れるものはない。
殿堂入り。想い出の作品の中でも特に好きな人。初恋を思い出す感覚にもなる。そして気づく。俺、まだあいつのこと……。
神聖化。運命。その御姿を直視できず、
名を呼ぶどころか、
その人の名を打ち込むことすら憚られる。
一つ誤解しないでいただきたいのは、このカテゴリ分けは、“好き”のベクトルの違いでありランク付けではないと言うこと。
好きに一位も二位も無い。等しく鎮火し再燃する。落ち着いた好きの感情は認識の外にあるだけで、無意識下でくすぶり続けている。
薪が焼べられればもちろん、なにげない風に煽られれただけでもたちまち火炎に変わる。
一緒に炎上しよう。
灰になって風に乗り、空を舞ってあの人のもとへ、ハルケギニアのルイズへ届け。