tekitou’s diary

とても雑多な記事。オタク事。

平成と令和、合わせて“平和”!

 

画期的な思い付きだと閃いたその三十分後に平成と昭和でも“平和”になることに気付く。

 

日本全国その話題でもちきりだろうから私は書くまいと思っていたけど、当日を逃してから年号を話題に出すのが一番格好悪いので書いとこ。

令和、今時な感じだしかっこよいね?昭和の昭和感はすごい。平成の平和感もすごい。令和は“へいわ”とほとんど変わらないのに頭文字が“れ”に代わるだけで近未来感というかクールな感じ。

 

とりあえず500年後の学生は「昭和と令和、どっちが先だっけ~!?」と歴史の授業で頭を抱えるだろう。

多分語呂は「昭平令(しょうへいれい)」とか。

 

アンパンマンラムネが、旨い。

 

たまに思い出したようにアンパンマンラムネを買う。

四種類の味があるらしいが、色を見て意識しないとどれがどの味か分からない。風味が違うのは分かるが最終的にみんな同じ味と化す。

飴としても通じるが、ちょっと気合いをいれて噛めばラムネ粉になる程よい固さ

優しい甘さの中に飽きさせない程度の酸味。

ウマーイ

 

アンパンマングミも好きだった。

オブラートが本体と言ってもいいアンパンマングミは、オブラートだけで食べるもよし、グミと一緒に口放り込んで濃厚なグミと微かに甘いオブラートのデュオを楽しむもよし。

ウマーイ

 

うまいものはよい。

 

 

月のものが悪化したので豆乳教に入信した

 

眠くなる程度と数回の腹痛で済んでいた生理痛が最近、頭痛も伴うようになってきた。

 

平常、私は死ぬほど健康体という矛盾を内包した人間なため痛みにまっったく耐性が無く、些細な体調不良でも途端にグロッキー状態と化してしまう。そんな人間に月イチで数日にわたり感謝の頭痛デーが開催される、これはとってもゆゆしき事態。

頭痛持ちの人マジ、こんな状態異常が通常ステータスとか嘘だろ、信じられない、本当に尊敬する。

 

さて、ここ一年ほどではあるが私は週二で豆乳を飲んでいる。理由は単純、超うめえ。麦芽もバナナも紅茶もウマーイ!

そして豆乳なんて字面はあからさまに体に良いのだ。がぶ飲みだ。

 

そしてふと気づく。……なんか、生理前/中に豆乳飲んだら生理痛楽じゃね?

正直、豆乳によって生理痛が軽減されるエビデンスは自分の中にない。

ググったら豆乳はやっぱり生理痛に効くらしいが、たまたま睡眠栄養休養が足りてたとか、そういう可能性もある。プラシーボの可能性もある。

それでもやっぱり効いてる気がする。この記事を書いてる今日も豆乳飲んでから頭痛が軽減されたし、部活も、恋も、受験も上手くいく!そんな販促漫画がありましたね。

 

 

ブレイブストーリーのラストを受け入れられぬまま

ブレイブストーリーのうろ覚えあらすじとラストのネタバレするよ!間違ってるかもしれないよ。
 
 
 
 
 

小学生の頃、父親にブレイブストーリーを買い与えられた。映画化する前のことだったと記憶している。

上下巻だったろうか。そこそこのボリュームで、本好きだった私も流石に一気読みと言うわけにはいかなかった。日にちを分けて読み進める。朝の読書タイムにちまちま、家に帰って黙々。
 
 
序盤、主人公である亘と亘の母親は悲惨な運命に翻弄される。
父親が家を出て行ったのだ。そして不倫相手の登場。
亘と母親は二人取り残される。
亘は自殺を図るまでに追い詰められる母親を間近で見ることとなり、また出ていった父親にたったひとりで会いに行き「帰ってきて」と嘆願するも父親の決意は揺るがない。この時点でもう勇敢だよ亘。ブレイブストーリーの主人公だよ。
 
これを読んだ時はたいそう胸糞悪くなったものだ。思い出した今でも腹が立つ。
子供と言うのは正義感が強いもので、弱きものは護られ、狡き/強きものは挫かれるべきだと憤慨する。
不倫相手地獄に落ちろ!父親は泣いて謝れば許さんでもない。過激な正義感による謎ルールを制定して精神を安定させ、歯噛みしながら先を読む。
異世界で、旅を果たせば何でも願いが叶う」。……そうそう、これだよこれ!
子供と言うのは実はけっこう賢しいもので、物語の最後にはなんだかんだ解決、ハッピーエンドが待っていると知っているのだ。
最後のハッピーエンド、これまでのもやもやを解消するために読み進めていく。カタルシスのために。
 
 
だが最終的には父親と、不倫相手はそれっきり。
異世界から帰ってきた亘は現実を受け入れ、母親と共にふたりで生きていく決心をする。
大人になった亘の逞しさに、母親も気付く。
 
話はここまでだったか、さらにエピローグがあったか。私の記憶はここまでだ。
 
 
──
 
読み終えたあと、私の胸には釈然としない感情、それどころか亘に対する怒りすら沸き上がった。
勧善懲悪を大きなモチベーションとしていた。不義理な二人は最後に罰せられるのだと信じて疑わなかった。だからここまで読んだのにどうしてこんな。
勝手に裏切られた気持ちだった。
 
他人を不幸に突き落とした奴らがそこにいるのに。
傷心中の私の母親の前に現れてわざわざ「子供がいるのよ」と勝利宣言しにきたあのイヤな不倫相手を。
思春期真っ只中のいたいけな少年にトラウマレベルのいざこざを起こして去ったあの父親と呼んで良いかもわからない人間を。
なんの制裁もなく野放しにするのか。
 
未だに思い出してはあれこれ思う。書きながら涙している。
もしかしたらある意味一番思い入れのあるトラウマ小説なのかもしれない。
 
亘は物語を通じて成長した。現実で生きていく心の強さを得た。その選択が尊いものだと理解はできる。
しかし私はまだ小学生の時と同じ感情に囚われたまま。
亘の成長を羨ましく妬ましく怨めしく思っている。
 
 
 
 
 

「推し」じゃねえ「運命」なんだ

 

愛する別次元の人の事を「推し」と呼ぶ風潮。

よそ様が遣う分には気にしないけどいざ己が遣うとなると凄まじき違和感に阻まれる。

理由は単純。別に「推し」てないのだ。

誰かに向けて「イイっすよこの子」と言いたい訳じゃない。布教したいわけじゃない。アイドルな子だったらそれでも良いのだろうが、生憎アイドルで好きな子には今だ出逢っていない。

そして“好き”にもカテゴリがあって、ファン、愛、殿堂入り、神聖化の4つがある。

 

ファン。いわゆる“推し”。追いかけている作品やグループの良いな!と思った人。一緒にペンライト振ろうな。

 

愛。この感情を持つか否かは一般オタクか深みオタクかを線引きする。越えたならあとは怖れるものはない。

 

殿堂入り。想い出の作品の中でも特に好きな人。初恋を思い出す感覚にもなる。そして気づく。俺、まだあいつのこと……。

 

神聖化。運命。その御姿を直視できず、

名を呼ぶどころか、

その人の名を打ち込むことすら憚られる。


一つ誤解しないでいただきたいのは、このカテゴリ分けは、“好き”のベクトルの違いでありランク付けではないと言うこと。

好きに一位も二位も無い。等しく鎮火し再燃する。落ち着いた好きの感情は認識の外にあるだけで、無意識下でくすぶり続けている。

薪が焼べられればもちろん、なにげない風に煽られれただけでもたちまち火炎に変わる。

一緒に炎上しよう。

灰になって風に乗り、空を舞ってあの人のもとへ、ハルケギニアのルイズへ届け。

 

 

 

使ってるイヤホン

SONYのイヤホン MDR-EX450 くん。

 

アッマゾンでレビュー投稿しようと思っていたけど、

大手通販サイト不特定多数の目に晒すに値するレビューたる自信がないので此処に貼る!

元は8000円ほどだったらしいのでお得感もマシマシ。私が最初に買ったときは4000円前後だったけど今3000円くらいになってますね。どうしてなのだろう。

収益化とかわかんないから単純なリンク貼っとくね!安心して飛んでくれよな!

あとこのイヤホンの強化バージョン知ってるぜ!っていうのあれば是非教えてくださるとうれしい。

 

 

“使用歴二年ほど。
音質の難しいことは分からない、普段はアニソンやJpop、動画配信、ASMRを聞いているようなライトユーザーです。
1000円から1500円ほどのイヤホンからもう少し質のいいものにしたいと思い色々と試していました。
イヤホンによって音のバランスが違うので、自分に合ったイヤホンを探していました。私の耳の問題かもしれませんが、低音?が強く響くようなものや、音質が良いのはわかるけれど遠くから聴こえるようなものはあまり合わないので…。
継続購入の理由はそうした音のバランスが個人的に好みだということです。
 
お恥ずかしいことに数々のイヤホンを断線させてきた雑な人間ですが断線も無く、コードの絡みづらさ・ほどきやすさに強いストレスを感じたことはないように思います。
 
(このイヤホンの音のバランスがそのまま、音質がさらに底上げされたようなものがあればそちらに移るのですが、探すの大変)
 
 

平成の終わりにはきっと「オトナ帝国」を

 

平成っていい響きだ。

昭和の昭和感もすごい。

きっと平成の次の年号が昭和だったら、ピンと来なかっただろう。

ずっと平成でいいじゃんね?

平成が過去になるのは、というか「昔の年号:平成うまれの人間」になるのが嫌だ。

かっこよく老いたいが、どうすればかっこよく老いることができるのか。

既に老いることにシフトしている。そんな20代。

人に譲って生きる人間は「自分」なんてない

Twitterではよく「自分の生きたいように生きていい」「義務よりも自分が第一」「嫌なことはキッパリ断れ/やめてしまえ」といった趣旨の漫画や呟きが流行る。めちゃくちゃ多い。

それらを読むたびに思うのは、そのように自分の生きたいように生きたら迷惑がかかるということ。

それは気にしい人間にとって望まない生き方だ。生きたいような生き方でもない。

内心嫌でも続ける。途中で辞める事は、それ以上のストレスになりうるのは想像に難くない。

 

「中途半端な自分」「成し遂げられなかった不甲斐なさ」

そしてなにより「他人に迷惑をかけたこと」。自身の最もおそれる事態だ。

 

万人と上手く行く方法なんてないのに、つい他人に気を遣って生きる日々のなんと生きづらいことか。

自分語りが苦手という自分語り

Twitterは苦手な人もいるかもしれないと猫の写真すらリツイート出来ず、
一度投稿したら直せないのが苦痛で、
いいねやリツイートのために投稿しているような逆転現象、
ごく自然ににパクられるなど、
仲間が欲しくてアカウントを作っては短期間で消すを繰り返した。
Twitterに罪は無いが、致命的に合わなかった。

ブログは人の検索結果の邪魔になるかもしれないが、
公開してもまあそこまでアクセスされるようなブログにはならないだろうと踏んで登録。
ユーザーネームも「うまみ成分」にしたかったけど、検索の邪魔になったら申し訳ないので埋もれる名前。
めんどくさいネットユーザーの明日はどっちだ。